今日は夜中3時頃、妻から連絡があった。
「酸素濃度が低くて、鼻から酸素入れ始めた」とのことだ。
あとは「お腹のハリで痛みが酷く、痛み止めももらった」らしい。
肺癌だから肺にも影響が出てきたのだろうか・・・。
色々やりとりしていると妻がポツリと一言。
「もうこの状況がつらい、早く良くなってほしい・・・」
初めての弱音だと思う。
妻はとても我慢強い性格だし、人の悪口を言ったり、愚痴ったりすることもなく、後ろ向きな発言はしない人だ。
病気が分かってからも「早く治そう」とか、「頑張って退院しなきゃ」とか、前向きに病気と向き合ってきた。
私は、ここ2,3日は、急激に体調が悪化している感じがしていた。
当然妻もそれを自覚しているのだろう。
だから、こんなに弱気な発言をしたのかもしれない。
私は「全力でサポートするから、欲しいものとか、やって欲しいこととか遠慮なく言って」と返すのが精一杯だった。
全然気の利いた言葉がでてこない。
励ましてあげられなかった・・・
また、今日は先生と妻のご両親と、今後の方針について話をする予定となっている。
昨日までは、妻の希望である我が家で治療をするのか、実家で家族に囲まれながら治療をするのか、を検討するつもりでいた。
だけど、私の中では、もう実家での治療という選択肢はなくなっていた。
ここ2,3日の状況から考えて、治療の開始は一刻を争うと思っている。
最近は、面会中もベッドの角度を上げると痛みを感じるようになってきたし、左腕も可動域が小さくなり動かなくなってきた。
痛み止めを飲む頻度も増えてきたし、今日は酸素まで入れはじめている。
もう今すぐにでも治療を始めるべきなんだろう。
先生との約束の時間になった。
病院で妻のご両親と合流すると、先生と話す前に、現状報告をした。
私は「今すぐにでも治療を始めるべき」だと考えていることを伝えた。
ご両親はどうもピンと来ていない様子。
話で聞いているだけでは、細かい状況まで把握はできないから仕方ないのかな。
三人で診察室に入ると、先生からはこれまでの状況、経過などのお話があった。
妻は同席させずに診察室で話が進んだ。
「進行状況から治療をしなければ3か月もたないであろう」ということ。
分子標的薬に関しても「検査結果がまだ5日くらいかかる」らしく「途中経過からは適合する可能性が低い」とのこと。
先生も「ここ2,3日の状況を考えると、すぐにでも治療を開始すべきであろう」と考えているとのことだった。
お義母さんは、号泣して途中から話を聞くことができず退席。
お義父さんも、突然堰を切ったように泣き始めた。
泣き崩れる二人を横目に、私は冷静に先生の話を聞いた。
妻は頑張って治療するといっているし、息子の世話もしなければいけない。
私はもう泣かないと決めたし、泣いている暇はない。
先生との話が終わると、ご両親もやっと状況を理解できたようで、このまま入院中に抗がん剤治療に入って欲しいとの結論に至った。
話が終わってからは、妻の病室に移動。
先生が妻にも話をしてくれることになった。
今は妻の体調が悪化していて、気分も落ち込んでいることから、
「余命3ヶ月」ということや「足は治らないこと」などは濁してもらい、
あくまで「早期の抗がん剤治療に進むのがベストである」という話までにとどめてもらった。
夕方になってからは、息子を迎えに行って病院へ。
今日は息子ができるだけ長く病室にいられるように、コンビニで自分たちの夕飯も買って持参した。
最初の頃の面会では、会話もなくYoutubeを見ているだけだった息子だが、今日はスマホを見ることもなく、ずっと妻と話をしていた。
8時過ぎたので妻とバイバイした。
普通に「バイバイ」と言って、病室をでて、エレベーターに乗り、ロビーで降りた。
しかし、また「んーんー」と息子が体をモジモジさせ始める・・・
どうやら病院を出たくないらしい。
今日は病院に来る前も「ママの病院大好き。ずっと病院にいたい」って言っていた・・・。
そう言えばずっと病院に居られると思ったのかもしれない。
息子の望みをかなえてあげられないのが一番つらいな。
なんとかしてあげたいけど、私には何もすることができない。
なんで私が癌にならなかったんだろう、最近毎日考えている。
本当に悔しくてたまらない。
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