#144 今までお疲れ様、今まで頑張ってくれてありがとう

退院後後期
こちらの記事(前回の記事)をお読みになってからお読みください。

 

この記事は闘病中の方には衝撃的な内容となる可能性があります。心の準備ができていない方、または特定の話題に敏感な方はご自身の心の準備が整うまで、あるいは適切な環境が整った時に読むことをお勧めします。皆様のご理解をお願い申し上げます。

 

 

9月6日(火)

朝4時頃

突然、妻は電動ベッドの背を上げて、むくりと起きだした。

ペットボトルの水を少し飲むと、「少し苦しい」と言ってすぐに横になった。

寝ているのか、ぼーっとしているのか、目をつむっている。

 

朝6時頃

また、むくりと起きて、ペットボトルの水を飲む。

また苦しそうな顔をしてすぐに横になる。

とりあえず横になればすぐに寝てしまい、苦しそうな表情は消えていく。

 

昨日は午後から、ずっと寝ていた。

だから、いきなり覚醒したのは不思議だった。

特に言葉を交わしたわけでもないので無意識だったのかな?

 

朝7時頃、お尻に手を入れて除圧していると、目を開けて「オレンジが飲みたい」と言われた。

気持ち悪すぎて体位交換ができないため、常に圧迫されているお尻付近に定期的に腕を入れて、褥瘡(床ずれ)予防で除圧して血流を促進してあげています。

一昨日くらいからストローで何かを飲むことができていない。

紙パックのオレンジジュースを持ってきたけど、相変わらずストローから吸う力はないみたい。

コップに入れてあげるが、うまく手に力が入らなくて、上手に持てない。

妻に「飲ませてほしい」と言われる。

少し飲ませてあげたが、うまく口に含めず半分くらいはこぼれてしまった。

まあ、少し飲めたので良しとしよう。

 

再び妻はベッドを倒し、すぐ横になった。

普段なら起きる時間だが息子はまだ寝ているので、再び除圧をしようと近づくと。

妻に「手を握って」とお願いされた。

「うん、わかったよ」と言って、優しく手を添えて握ってあげて、腕や肩をさすってあげた。

「手を握って」なんていうのは、最初に入院したとき以来かな。

かなり不安なのか、それとも何か感じ取っているのだろうか。

 

9時半に訪問看護師さん(以下、訪看さん)が来て、ケアをしてくれた。

もうここ3,4日は気持ち悪すぎて、着替えすらできていない。

オムツを交換して、陰部を軽く濡れタオルで拭くだけ。

あとは炎症止めと吐き気止めの注射をしてもらう。

ケア中、かなり苦しかったみたい。

ずっと「苦しい、気持ち悪い」と言っていた。

私はケア中ずっと背中をさすってあげて、「大丈夫だよ。そばにいるよ」と声をかけてあげた。

 

今日もオムツの中は便というより血が広がっていた。

きっと内臓はすごいことになっているんだろう。

もう抗がん剤の副作用うんぬんでなく、そもそも腫瘍によって内臓がダメージを受けているのかもしれない。

 

9月1日に退院してからこれまでの変化を見てきて

なんとなくだが、今日の夜中か、明日が危ない気がした。

最期に二人でゆっくりと話をしたいと考えていたので、苦しそうな妻の手を握りながら、

「今日の夜、みんなが寝た後、二人でゆっくり話そうね」と声をかけた。

妻は、少しこちらに顔を向けて、かるくうなづいた。

苦しくて完全にこちらを向くこともできないみたいだ。

 

訪看さんが帰るときには妻は「すみませんでした」と謝っていた。

こんなに自分が苦しいのに、謝る必要なんてないのに・・・

これが妻が最後に発した言葉だった。

 

訪看さんが帰るので、玄関まで見送る。

訪看さんが言うには「今日ご家族に来てもらった方が良い」とのこと。

私が訪看さんに「今朝、『手を握って』って言われたんですよ」と言うと、

訪看さんは「もしかしたら何か感じてるのかもしれないね」と。

訪看さんも今日は危ないと思っているみたいだ。

 

訪看さんが帰ってからは、妻は再び寝はじめた。

今日は昨日と違い、一度寝てしまうと、寝ている途中で苦しそうに起きることも少ない。

 

午後3時半頃、訪問診療の先生と一緒に再び訪看さんが来てくれた。

持続皮下注の器材を設置してくれて、定期的に痛み止めが流れる状態になった。

 

ここ一週間くらいで妻は薬を飲めなくなってしまった。

これまでは朝食後、夕食後にオキシコドンという錠剤の痛み止め、それでも痛みが出るときはオキノームという粉薬を飲んでいた。

でも今は薬を飲めないのでフェントステープという貼る痛み止めを使っている。

頓服の痛み止めは、アブストラル舌下錠を処方されていた。

舌の下に入れておけば良く、飲まなくても大丈夫なやつです。

 

妻はもう腎臓が機能しておらず、ここ数日はほとんど尿が出ていません。

1日に30~50ml程度。

普通の人なら人工透析しなければいけない状況らしいですが、それもできず・・・

8月は抗がん剤の副作用のような感じで苦しんでいましたが

ここ1週間は腎臓が機能していないことで、以前にも増してとにかく苦しさが続いているのだと思います。

先生から「持続皮下注射で定期的に痛み止めを入れれば苦しさも紛れるかもしれない」と言われたので、是非にとお願いしていました。

「その代わり、意識が朦朧としてしまうのでコミュニケーションはとれなくなる可能性が高い」とのこと。

でも妻の苦しさが紛れるなら、その方がいい。

 

診察が終わり先生を玄関まで見送ると、先生は「今日は危ないかもしれないですよ。」と。

午前中、妻に「夜話そうね」なんて言ったけど、午前中と全く状況が異なっているのは私にも分かる。

午前中に訪看さんが帰ってからは「苦しい」という言葉すらも発しない。

この数時間でも確実に衰弱している。

先生が言うくらいだから、やはり明日までは厳しいのかも・・・

 

訪看さんは少し残って様子を見てくれた。

訪看さんが帰るころになると、妻が胸で息をし始める。

 

夕方になると、妻の妹さんが駆けつけてくれた。

お義母さんと妹さんが居てくれているので、私と息子は夕方のうち早めにお風呂に入った。

お風呂から出た後は、息子の夕飯を作って食べ始めると・・・

妻の呼吸がおかしいことに気づいた。

たぶん下顎呼吸が始まったみたいだ。

下顎呼吸とは・・・下顎呼吸(かがくこきゅう)とは、終末期や意識障害における呼吸困難の症状として認められる呼吸である。下顎を上下させ、口をパクパクさせてあえぐような努力性の呼吸で、呼吸中枢の機能をほぼ失った状態でみられる。死期が近づいている徴候の一つとされている。看護roo!(https://www.kango-roo.com/)より

隣で5分位じっと妻の様子を見てみた。

たぶん下顎呼吸に間違いないと思うので、訪看さんにすぐ電話。

訪看さんが「すぐに向かいます」と言って来てくれた。

 

訪看さんが来る頃になると、ずっと目を開けたままの状態になった。

一切瞬きもしない状態。

呼吸は激しくなってきている。

だけど目を見開いて、天井を見ながら、完全にぼーっとしていて意識が飛んでいるような感じに見える。

みんなで声をかけるが、反応はしない。

 

昼間は来れなかったが、いつも妻を担当してくれていた訪看さんも駆けつけてくれた。

妻を担当してくれていた訪看さんは、「旦那さんと息子さんを探しているように見える」とのことだ。

訪看さんは少し滞在し、また明日(何かあればすぐに)来ますとのこと。

 

息子は何が何だかよく分からないようで、「ママ―、ママ―」と叫んだり、変な行動をとって少し興奮気味だ。

訪看さんが、帰る前に「何か旦那さんに言いたいことがありそうな気がする」と言っていた。

私もそんな感じがしていた。

根拠はないけど、何か言いたいことがありそうだなと。

目を見開いて、何かを必死に訴えている気がしてならなかった。

 

でも、何が言いたいのかは、だいたい分かっている。

妻は退院してからずっと、

「パパごめん、〇〇とって欲しい」

「パパごめん、△△してほしい」

「パパごめん、□□作って」と、

事あるごとに「ごめん、ごめん」と私に言っていた。

私は「そんなこと、言わなくていいんだよ。何も悪いことしてないんだから。」

「俺はやりたくないなんて思ってないから」と妻に言っていた。

たぶん妻は病気になってからこれまで「苦労かけてごめん」と言いたいのだと思う。

あとは、「息子のことをよろしく頼む。ちゃんと育てて欲しい」「家を守ってね」と。

 

訪看さんにも、先生にも、「逝くときは自分が看取ってもらいたいタイミングで逝くんですよ」と言われていた。

「それが、奥さんの最後の選択になる」のだと・・・

 

妻は今相当苦しいんだと思う。

だけど、それを伝えたくて頑張っているのかなと思った。

もう妻を苦しみから解放してあげたかった・・・

 

だから、少し息子と三人だけで話をしようと思い、

お義母さんと妹さんに「5分だけでいいので3人だけで話させてください」とお願いした。

息子にとっても妻と話をする最期の時間。

しっかりと妻と向き合って欲しいなと思って。

9時40分くらいだったと思う。

 

三人だけになって、息子に、妻とした約束について話をした。

「パパとママは、生まれ変わったら結婚するんだよ」

「そしたら、ママはまたあなたを産むんだよ」

「だから、パパとママとあなたは、また一緒になれるんだよ、このままなんだよ」

「ママとはそういう約束をしているから、ママが生まれ変わったら、また会えるから心配しないでね」って。

息子は「うん、分かった」と返事をした。

 

妻とも話をした。

「3人だけにしてもらったよ」

「前にした約束覚えてる?」

「生まれ変わったらまた結婚しようね」

「そして、また息子を産んで、今度は妹も作ろうね。双子の妹がいいね。」

「今度は、みんな仲良くずっと一緒に居ようね」

 

妻が頑張って呼吸する姿は、

「心配かけてごめんね、辛い思いさせてごめんね。ありがとう」

と訴えているように見えた。

 

最期の時は、妻が私や息子ことを気にする必要がないように、

ちゃんと伝えてあげなきゃと、退院してからずっと考えていた。

だから、今夜二人で話す時間をつくろうと思ったのだが・・・

思っていた以上に、最期の時は早かった。

 

「この1年半、自分が大変なのに、いつも俺を気にかけてくれたね。」

「そのたびに『俺のことは気にすんな。』って言ってたけどさ」

「それは本当だよ。嘘じゃないよ」

「俺は幸せだったよ。」

「こんなにずっとあなたと一緒にいたんだから」

「大好きな人とこんなにずっといられたんだから、辛いなんて思わないし、幸せでしかなかったよ。」

「自分でおしっこもうんちもできないし、下半身は動かないし、椅子にだって座れない」

「そのツラさは俺には分からない、想像すらできないほどツラいことだと思う」

「それでも全然取り乱すこともなく、命をあきらめることもなく・・・」

「苦しくても、それでも治療を頑張ってくれて、一緒にいる時間を作ってくれて、本当にありがとう」

「ずっと一緒にいてくれてありがとう、大好きだよ、愛してるよ」

「前に、『息子は私からのプレゼントだよ』って言ってたよね」

「あなたの人生をかけたプレゼント、しっかり大事に育てるから安心してね」

「あなたが頑張って作った大好きな家、『守ってほしい』って言ってたよね」

「絶対大切にするよ。いつでもあなたが家に戻ってこれるようにしておくからね」

「この1年半ずっと苦しんで、頑張ってきたんだから、もう頑張らなくていいんだよ」

妻に伝えてあげたかった事を全て伝えた。

 

最後に息子と一緒に妻のほっぺにキスをしてあげた。

息子は左のほっぺ、私は右のほっぺ。

「せーの」で一緒にキスをした。

 

夕方過ぎから、妻はずっと目を見開いていた。

三人で話はじめた時は、左目だけうるんでいる状態だった。

話を終えて、ほっぺにキスをしてあげた後に見ると、右目からも涙が出ていた。

うるんでいるだけでなく、涙の粒が垂れていた。

 

人は死ぬ直前まで、心臓が止まっても、耳だけは聞こえているらしい。

それは先生にも訪看さんにも言われたし、ネットで調べてもそう書いてあった。

だから下顎呼吸の今も耳が聞こえていることは確かだと思う。

だけど、脳がちゃんと言われたことを認識しているのかまでは、調べても分からなかった。

調べ方が悪いだけかもしれないし、

死んでいく人の脳なので調べようがないのかもしれない。

だけど、さっきまで流れていなかった涙が今は流れている。

もうしゃべることはできないけど、妻が精一杯応えてくれたんじゃないかなという気がした。

妻は呼吸をしながら、必死に「ありがとう」って言おうとしている感じがした。

 

3人だけの話が終わってから、少しするとさらに呼吸が激しくなってきた。

10時23分に妻は息を引き取った。

息子と三人で話を終えてから30分くらいだろうか。

三人で最期の「お別れをしよう」と頑張ってくれていたんだね。

朝の「手を握って」は、最後のお願いだったのかもしれないね。

妻は、自分でも何か感じ取っていたのかな。

 

すぐに訪看さんに連絡した。

訪看さんが訪問診療所へ連絡してくれて、駆けつけてくれた先生が死亡を確認してくれた。

当直の先生ではなく、担当の先生がわざわざ駆けつけてくれた。

訪問診療は、週に1回の訪問という約束だった。

だけど退院してから1週間も経たないのに、先生は心配で4回も来てくれました。

本当にありがとうございました。

9月1日に妻が退院してから、私は不安しかなかった。

先生や訪看さんが毎日来てくれることで、安心できました。

 

先生が帰った後は、訪看さんが妻の清拭と着替えをしてくれた。

妻が病気になる前によく着ていたお気に入りの洋服を用意した。

清拭の途中でお義父さんとお姉さんが到着。

お義父さんとお姉さんは仕事が終わってから来たようで間に合わなかった。

昼間のうちに、来るように私からお願いすれば良かったのかな・・・

 

妻の妹さんとお姉さんが妻に化粧をしてくれた。

そこに苦しい表情は一切なかった。

化粧のせいか、顔色も健康そう。

今にも声を発しそうな雰囲気だ。

でも、何も言ってくれないんだよね、もう。

でも、苦しさから解放されて本当によかった。

 

この1年半、1日も痛みがない日はなかった。

自分一人でおしっこもうんちもできない。

ベッドから出ることもできない。

車椅子にも座れない。

気持ち悪くて、苦しくて、ご飯も食べられなくて・・・

これらすべての苦しみから解放されたんだから、

私や息子にとっては悲しいことかもしれないけど、

妻にとっては、とても良いことだよね。

 

 

ママへ

本当にお疲れ様。

生まれ変わって新しい人生を歩み始めてくれたら嬉しいです。

「また結婚しよう」なんて言ったけど、私はまだ生きているので、

私のことは気にせず新しい家族を作り、幸せになって欲しいです。

出会ってから11年、12年くらいかな。

あなたよりも長い付き合いの人はたくさんいます。

だけど、誰よりも大切な人でした。

血のつながった家族よりも、大切な家族でした。

世の夫婦から比べても、一緒にいた時間は短いかもしれません。

だけど、世界中のどの夫婦よりも、つながりの深い夫婦だったと思います。

これからは、息子と二人で仲良く、楽しく過ごしていこうと思います。

あなたの大好きな家を大事に守っていきます。

今まで、ほんとうに、ほんとうに、ありがとう。

ほんとうに、ほんとうに、お疲れさまでした。

これからもずっと変わらず愛しつづけます。

 

 

息子へ

このブログに気づいたかな?

パパからブログのこと聞いたかな?

このブログを読んでいるときは、ママと一緒にお出かけしたり、お話したり、ゲームしたり・・・

ママとの記憶なんてないかもしれないね。

 

でもね、ママは毎日あなたの元気な姿を見たくて、

あなたが美味しそうにご飯を食べる姿を見たくて、

ずっとあなたの傍にいて抱きしめてあげたくて、

どんなに苦しくても治療することをあきらめずに頑張ったよ。

 

どんなに自分が苦しい思いをしていても、

あなたのことを考えて、想っていたよ。

あなたは、あなたが大好きなママに、ずっと愛されてたんだよ。

 

あなたは「ママはお月様になったんだよ」って、パパに教えてくれたよね。

そうだね、ママはお月様になったんだと思う。

きっとママはお月様からずっとあなたのことを見ているよ。

だから、お月様を見たらママを思い出してあげてね。

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