#058 出産

雑記

こちらの記事の続きになります。

 

妻の遺品整理をしていたら、自治体から発行された「イクメン手帳」なるものが出てきて、妻の妊娠中の出来事など、色々書いてありました。

それをもとに書いています。

 

2016年3月、やっとのことで妊娠が発覚して、よかったのだが・・・

この頃、ちょうど新居が完成する予定で、引っ越しの準備で忙しいときでした。

4月頃は特につわりが酷く、妻は毎日ゲロゲロしていて、大変そうだった。

なので、基本的に引っ越しの荷造りなどは、全部私が一人で頑張ることに。

毎日地獄だったと手帳に書かれていた(笑)

 

ゴールデンウィークに新居への引っ越しが完了。

ゴールデンウィーク明けくらいから、少しずつ妻のつわりが落ち着いてきた。

 

順調かと思われた矢先、6月9日の検診で「子宮頚管無力症」と診断される。

子宮頸管無力症(しきゅうけいかんむりょくしょう)とは、陣痛などの下腹部痛や性器出血などの症状がないが子宮頸管が開いてきてしまう状態のことを言い、流産や早産の原因となってしまうことがあります。(産婦人科・内科 加藤クリニックより(https://www.katocl.jp/))

妻は、これより数年前「子宮頸がんの円錐切除術」を行っていました。

円錐切除術とは、ごく初期(0期)の子宮頸がんで、妊娠・出産を希望される患者さんに行われる手術法です。がんが見つかった子宮頸部を、その名の通り円錐状に切除します。子宮機能を温存して治療ができるので、術後、状態が落ち着けば妊娠も可能です。(福井済生会病院 集学的がん診療センターより(https://www.fukui-saiseikai.com/cancer/))


出典:福井済生会病院 集学的がん診療センター(https://www.fukui-saiseikai.com/cancer/)

手術によって子宮頸管が短くなっているため、子宮口を閉じる力が弱くなっていて、赤ちゃんを子宮内に閉じ込めておくことができないらしい。

妊娠しづらかったのも「円錐切除術のせいで、子宮頚管が短く、精子が通りやすくなるような分泌液が少ないのが原因の一つかも」と言われていました。

そんなこんなで「子宮頚管無力症」の対策として、6月10日に「マクドナルド法」による手術を行うことになりました。

シロッカー法は、内子宮口を縛る方法で子宮頸管の奥の方の部分を縛る方法になります。一方のマクドナルド法は、子宮頸管の内部を外側から縛る方法で、縛りが緩んでしまったとしても縛り治すことができるという利点があります。(みなみ野グリーンゲイブルズクリニックより(https://minamino-greengables.jp/))

簡単に言うと、子宮口を縛る感じなんですかね。

ただし、これで完全に安心できるわけではありません。出産まで負担をかけないように、安静に過ごす必要があるそうです。

ここからは、できるだけ車にも乗らないようにして、家の中でも必要最小限で動くようになりました。

6月25日には初めて妻のお腹が動いて、毎日妻のお腹にほっぺをくっつけていた記憶があります。

 

7月8日の検診では、超音波で「ち〇こ」が発見されました(笑)

 

8月8日の検診では、子宮頚管が16mmになってしまったため緊急入院。

この時、23週のため「この病院では28週未満の出産は対応できない」とのこと。

県内では28週未満の対応をできるところが1か所しかないため、そちらへ転院することに。

 

とりあえず28週までは土日だけその病院へ面会に通いました。

高速を使って片道1時間半、何かあってもすぐに駆け付けられないので、毎日「何もありませんように」と祈っていた。

妻は「トイレ以外、一人での移動は禁止されている」とのこと。

なので、面会に行くと、まず一週間分の洗濯物を持って、妻を車椅子に乗せて、病院内のコインランドリーへ。

洗濯中は、病院内のコンビニで買い物したり、スタバでお茶したり、一週間分の会話を楽しんだ。

面会時間が終わるギリギリまで。

毎週毎週、お腹が大きくなっていくのがとても楽しみだった。

 

28週まで何事もなく過ごすことができて、9月8日に地元の病院へ戻ることに。

34週になったら退院できるとのことだ。

あと1か月半・・・長いな。

 

ここからは、毎日仕事を定時に終わらせて病院へ。

飲み物やお菓子を差入れしたり、着替えやタオルなどを交換したり、妻を車椅子に乗せてラウンジでお茶したり。

妻のリフレッシュに時間を使った。

 

結局、退院できる34週までもたず32週で息子が生まれてしまう・・・

予定日は2か月早い。

そのため息子はNICUへ。

妻と一緒に毎日通った。

 

看護師さんに教えてもらいながら、保育器に手を入れて、中にいる息子のオムツ交換をしたり

妻が搾乳した母乳を綿棒に付けて、保育器の息子の口に含んであげたり

夫婦で少しずつ触れ合うことからスタート。

 

その後、息子は1週間ほどでGCUに移動。

GCUに移ってからは、毎日病院でお風呂に入れたり、カンガルーケアしたり、看護師さんに色々と教えてもらった。

カンガルーケア(看護roo!様より(https://www.kango-roo.com/ki/))

 

GCUには、息子よりも小さな赤ちゃんがたくさんいた。

小さな赤ちゃんに酸素ボンベをつけて、パパとママがベビーカーでGCU内を散歩している光景なんかも見た。

息子は、小さく生まれてしまったが、しっかりと呼吸もできていたし、順調に大きくなっていきました。

 

生まれてから1ヵ月と少し経過。

最後は、病院内の宿泊用の部屋に3人だけで1泊。

食事はコンビニなどで持ち込み、基本部屋からは出ることができません。

1晩一緒に過ごして、退院後の生活に問題がないことを確認してから退院。

この年は、子供の医療費がとんでもない金額だったのを覚えている(笑)

でも自己負担はゼロ。

日本は非常に恵まれている国だと思います。

 

でも、無事退院できてよかった。

そして、約4年後に妻の癌が発覚することになります。

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